1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.43 2021年5月発行
榎本好宏 選

 俳句の生活で私が大切にしてきたことは、たくさんの俳句を作りながら、それを捨てる勇気、つまり多作多捨だったように記憶している。若い頃習ったスキーの師はまず「三千回転ばないと上手になれない」と言ってくれた。俳句の場合で言えば、転ぶこと、すなわち作って捨てることだったのだ。この欄の投句五句が出来たら、作句が完了したと思わずに、もう一度零から作り始めることが重要。体の中にたまっていた常識というゴミがどんどん体外に排出されていくことになるのだ。こんなことを思いながら、今月号の選句に向き合っている。
啓蟄や卍じるしの多き絵図
木村 珠江
 もともと卍(まんじ)印は仏像の脳などに描き、吉祥万徳の相とされてきたが、日本では寺院の標識や記号に使われたので、一般の地図にも寺の所在地として書き込まれている。京都や奈良の古地図をのぞくと、この卍印であふれている。もちろん、現代の観光地図にも、寺の場所を示す標識として卍印が描かれている。この一句の絵図は一体どこの絵図なのだろうか──。
 卍印と啓蟄の取り合わせに私の関心は注がれる。目の前にしている絵図に卍印が多いということは即ち、作者の胸中には、寺が軒を並べて存在する実景があるということであり、その思いと季語の啓蟄と向き合うことになる。これだけでは済まない。卍印と啓蟄とを知恵で並べた積もりでも、その間に立つエーテル状のものから、作者自身がある種共感を得たはずである。つまり取り合わせの妙は、作るものではなく生まれるものだったことに気付くことなのかも知れない。
丘ひとつ末黒野にする村仕事
齊藤 眞人
 新しい草がよく萌え出すように、早春の枯れ草を焼くのが野焼きだが、この作業には村中の協力が必要。今では消防が出て行う野焼きだが、かつては村人が各々役割を決め火が放たれた。中には、野焼きを見る人の輪を整理するだけの、年寄りのグループもあった。その野焼きのあとの黒い野原が末黒野だが、それらを振り返ってみると、村人が分担協力していたことが分かる。
 作者の住む埼玉には、今もあちこちに火止めの堀の跡が残っており、往時は野焼きが盛んに行われていた名残りとなっている。
満天の星掬ひたる螢烏賊
永井  環
 いまでも富山湾の蛍烏賊漁は観光名所になっていて、近づく観光船は消灯することになっている。一方の漁船の方は、烏賊が網に掛かると発光器に光が入り、海岸が明るくなるほど光る。これらの一部始終は観光船から見えるが、この一句は、そんな船上のものであろう。漁船の網にかかった螢烏賊はさながら満天の星のようだ、との見立て。初夏の産卵期にはことに明るく賑わうコース。
つばくらめ南の人の追うて来よ
秋山  健
 街中に燕が舞い始めると、いよいよ春になった感じがする。この作者は、そんな燕に向かって南の国の人を連れていらっしゃいと呼びかけるのだ。話は少しそれるが、現在のコロナ禍で外出がままならず、精神的負荷は増すばかり──といった話を秋山さんとはなしただけに、「南の人の追うて来よ」に、ある人懐かしさを感じる。もう一つ「追うて来よ」の命令形に優しい思いが込められている。
渓流の音まだ立たず龍太の忌
保坂 定子
 龍太家に何度か伺ったことがあるので、まさに裏山への風景はこんな感じだろうか。一度は、招かれて龍太夫人の料理を頂いたが、その料理の素材は裏の谷間から採れたもので、感動した覚えがある。渓流の川音まで総括して龍太忌を詠める人は少なくなったはずである。
沫雪や風聞さへも絶たれゐて
うらかみなみ
 先日ある会から、現代のコロナ禍の時事俳句を求められて、私も難儀したが、この一句もその時事俳句なのだろうか。俳句はともすると時々絶叫型になりがちだが、この一句は、季語「沫雪」との取り合わせによる沈静化が成功しているのかもしれない。
雪消しの土おほよその境まで
齋藤 律子
 「雪消し」とは、陰暦の十一月ごろ雪の降る寒気を忘れるため、粉餠や果物を贈る意だが、この一句の「雪消し」は、雪国、福島に残る雪の消し方である。降り積もった雪の上に黒土を散らしてまいておくと、雪が早く解ける──という雪消しである。雪国の早春の景でもある。
火柱を鳶で崩してどんど果つ
馬場  良
 この景も雪国、福島で行われているどんど焼きである。小正月の火祭りで、正月に飾った門松や注連縄を燃やす左義長のことである。その燃え盛る火を鳶口の先にひっかけて崩して、どんど焼きが終わる。近くの三島町のどんど焼きの規模はべらぼうに大きい。